キャンドル瞑想会~動く瞑想と坐す瞑想~

2016年6月11日(土)にキャンドル瞑想会を開催しました。

 

今回の瞑想会は告知が数日前ということもあり、いつもよりも少ない人数での開催となりました。今回参加してくださったのは長年瞑想を続けてきた方々で、初めて瞑想される参加者が多かった前回の瞑想会とは異なる雰囲気となりました。

 

イントロの部分では共催のスペースMaDevi相山千賀子さんが観音舞の呼吸を使ったセッションから瞑想会が始まりました。ゆったりとした観音舞の動きを伴いながら、言葉でもわかりやすく説明してくれていました。観音舞の呼吸法に続いてナーダブラーマ瞑想、トラタック瞑想、第三の眼を開く瞑想法と続けて瞑想技法を紹介。

 

始めたばかりの瞑想会ですが、素晴らしい瞑想会になっているなと感じています。私の世界観の体現となる無添加の瞑想用キャンドルが、相山さんの世界観を通して美しい空間を生み出している。

 

この美しい空間の中で、自分が気持ち良さをよく知っている瞑想技法ばかりを並べて、皆さんと瞑想することができる。こんな瞑想会があったら是非参加したい!と自分が思える瞑想会にもなってました。 

 

 

 

自分の理想ばかりの瞑想会

キャンドル瞑想会はこれといって高尚な瞑想会ではないかもしれません。結果としてそうなれば良いけれど、かといって瞑想会に来てくれる誰かに満足してもらうことを目的にやっているのかと言われれば、そういうわけでもなかったりします。

 

それでも、瞑想の大先輩が来てくれているので喜んでもらえるような会にしたいとか、逆に失望されたくないとかそういった声が頭によぎることもあります。

 

しかし、それと同時に大先輩から認めてもらいたい、愛されたいと願っているエゴイスティックな自分に気付いていればそれで十分。実際に外側の誰かに評価してもらう必要がなくなっていくことを感じています。

 

誰かの為に何かを為す。これが"愛"と呼ばれたりしますが、実際は為す側と為される側(尽くす側と尽くされる側)に分離してしまいます。これはパートナーとのセクシャリティから体感して学んできたことです。

 

よくパートナーを満たす為にセクシャリティの技術などを学ぶ人がいますが、実際はパートナーを満たそうとすればするほど、気持ちよくする側と気持ちよくされる側に分離して一体感とはかけ離れていきます。

 

相手を満たす為でもなく、自分を満たす為のどちらでもなく、どちらでもある。為す自分が消え行く時に、自然が事を為してくれている。

 

 

相手の為でも、自分の為でもなく

私の場合、理由はよくわからないけれど、気が付けばキャンドルを作っていました。これまた理由はよくわからないけど、気が付けば瞑想会を開くことになっていました。

 

誰かに喜んでもらいたくて始めた訳でもなく、自分がやってみようと思っていた訳でもなく、よくわからないうちに始まっていました。

 

目指して辿り着いたわけでもなく、理由はよくわからないけど、キャンドルと瞑想会が運ばれてきた感じ。結果として、来てくれた人が喜んでくれたりする。

 

瞑想会を開く度に充足している自分がいて、また開きたいなと思う。そして、いい瞑想会だなと感じている自分がいて、自分がこの瞑想会の一番のファンだったり、次も開催して欲しいと希望する参加者だったりもします。

 

 

主催者がこんなスタンスでもいいのかなと思いつつも、まぁいいんじゃない!とか思いながら、次回も瞑想会をやる予定を組んでいます。