ダンスが瞑想になるとき

思わぬ反響

インドにいた時は踊れるスペースと音楽があったので時々踊っていましたが、思いがけず日々たくさんの人たちにダンスを賞賛されていました。

 

God dancer !

Amazing dance!

Meditative dancer!

I like your dance!

 

一人でぶらぶら歩いていると毎日のように見知らぬ人から話しかけられて、あなたのダンスが好きだとわざわざ伝えてくれました。自分の踊りのファンになってくれる人がたくさんいました。

 

私のダンスは凄いんですよ~。ということではなくて、実際自分がどうやって踊っているのか知らないし、ダンスなど習ったことないし、そもそも私はダンサーですらない。

 

 

音と一つになる

これからシェアしたいと思っていることは、瞑想会が基盤にあって、異性と一つになること、山などの自然と一つになること、音と一つになることです。

 

音には独自のバイブレーションがあります。もちろん自分にもバイブレーションがある。この音と自分のバイブレーションが共振共鳴した時にダンスは自然と起こってきます。

 

だから私にはダンスをしている感覚などなくて、ただ音と一つになっている感覚だけがあります。音と一つになっていれば、身体は自発的に動き出し、結果としてそれがダンスになってくる。ただそれだけのことです。

 

その状態はある種のオーガズムでもあり、どうやって?と考えることなどなく自発的に身体が動いている。ただ自発的に動いている身体を感じているだけです。だから、自分が踊っているというよりも、自分の身体が勝手に踊っているのを見ている感覚に近い。 

 

 

音に合わせるのではなく

けれど、フリーダンスの会などに行くと多くの人が音楽が鳴ると音楽に合わせて身体を動かし始める。それがいいとかわるいとかではなくて、音に合わせていることに気が付くことが出来れば、新しい領域が開かれてくるはずなんです。

 

その為に必要なことは音とつながる瞬間を音を感じながら待つことなんです。音とつながった瞬間から身体には動きが起こります。ただ待つことができずに自分から動き始めてしまうのがマインドです。ダンスが起こるのではなく、自分がダンスをしている。この状態が音に合わせているということです。ここに気付くことができるかどうか。

 

異性とするセックスだって男のバイブレーションと女のバイブレーションが共振共鳴して起こってくるセックスと、異性に合わせてするセックスでは明らかに境地が異なる。

 

本当に共振共鳴が起こってオーガズミックなセックスをしている時にどうやって動こうかなどと考えることなどできなくなり、身体が自発的に動いているはずで、ダンスにも同じことが起こってきます。だから音とともに在れば、踊り方など知らなくていい。 

 

 

内側から湧き出る魂の踊り

音楽に合わせて踊っていることを否定するつもりはないけれど、より瞑想的になればダンスに新しい領域が開かれてきます。

 

それは、ベリーダンスで習得してきた動き、フラダンスで習得してきた動き、舞踏で習得してきた動きとは異なるものが出てくることも多いはずで、外側から習得してきたものとは異なる内側から湧き出る自由な動き。

 

そして、内側から湧き出る動きには人によって個性があり、正しいとか間違っているということがない。これが美しくてこれが美しくない、これが難易度が高くてこれは難易度が低いということもなく、それぞれの魂が現れて、全ての個人が独創的な動きをする。だから、人の踊りを気にすることには意味がなく、ただ自分自身であることが問われてくる。

 

世界中のシャーマニックな儀式、ご神事において必ずと言っていいほど踊りが用いられているのは、そのような瞑想的な踊りの中で神なる何かを見出すことができるからなのでしょう。

 

それぞれの内側から湧き出てくるもの。その踊りを通じて瞑想的な境地になり、神を見出すようなそんな踊りをダンス瞑想会を通じて伝えていきたい。


リンクナチュラルでは会場が確保でき次第、来週からでもダンス瞑想会~音とひとつになる~を開催する予定です。