無秩序のなかの秩序

無秩序な交通事情

3月中旬に1週間程度カンボジアに滞在してきました。アンコールワットのあるシェムリアップ近郊の村々に125ccのバイクを借りて毎日出かけていましたが、日本にいる時よりも自由と活気に満ちていて運転が楽しくてしかたありませんでした。

 

カンボジアは交通ルールが無いに等しい状態で無秩序そのものです。とにかく先に突っ込んだ車が優先ですし、クラクションがこだまして騒がしかったりします。道路事情も舗装されていない土のままの道路が普通にありますし、アスファルトで舗装されていても穴ぼこだらけです。 

 

唯一の例外として、6号線という4車線分ある幹線道路だけは、アスファルトで舗装されていて穴ぼこ一つなく、きちっと整備されています。6号線はよく整備された道路ですが、日本の道路とはっきりした違いがあります。 

シェムリアップ郊外の舗装されていない道路
シェムリアップ郊外の舗装されていない道路

安全など存在しない

それは車線がないこと。日本であれば片道2車線ずつになっているのが当たり前のことなので、車線が無いという状況を想像することができないかもしれません。けれど、シェムリアップ近郊の道路には車線がありません。4台分の車が通れる横幅があるだけです。

 

その時の流れによって車線が決まるということです。ある瞬間は片道2車線ずつになり、またある瞬間は片道1車線と片道3車線になる。はたまたある時には片道4車線になる瞬間もあります。

 

カンボジアは日本と反対で右側通行です。右から2番目の車線を走っていたとしても、ある瞬間に流れが変わって、気が付けば反対車線から車が突っ込んできたり、一番右側の車線を走っていれば安全かと思えば、突然バイクが逆走してきたりします。

 

安全な車線がどこにも存在していません。その瞬間、瞬間に自分がどこに位置するかを判断し続けなければなりません。日本の道路では考えられない無秩序でカオスな状況があります。

 

無秩序でカオスな状況ですが、ルールがキッチリしている日本よりも4車線をフルに活用できるカンボジアで運転している方が自由があってはるかに楽しいのです。

 

さらに街の中心部の4-5か所を除いて信号機すらありません。信号がないのだから、青がGO、赤がSTOPなんてルールは存在していません。ただ、その瞬間の流れを感じて動くことがすべてです。

 

信号のないカオスな状況の交差点
信号のないカオスな状況の交差点

無秩序の中の秩序

 しかし、運転を続けているとその無秩序の中に秩序が存在していることに気が付きます。何となく左からくる車が優先だとか、いま直進の流れに変わったなど、その時々で発生する秩序があるのです。そして、この車幅なら先に突っ込めば進める、ここは相手の方が先だなど相手との間合いを感じ合って進む。

 

日本みたいにキチッとしたルールがないから、判断するのは国や警察などの組織ではなくて、あくまで個人の感覚に委ねられている。個人がその瞬間、瞬間に感じて動く。そして、無秩序の中になんとなく発生している秩序のおかげなのか、実際にカンボジアでの事故は少なく、事故に遭うのは外国人ばかりだそうです。

 

あれが危ないんじゃないか、こうしなきゃいけないんじゃないかとルールによって細かく縛らなくても、感じることさえできれば、自然発生的に秩序が発生してうまく流れていく。ルールによって細かく縛られていると、間合いを感じる能力は育たずに、ルールで育ってきた外国人ばかりが事故を起こしているのかもしれません。

 

  

感じて動き続ける

カンボジアに着いたばかりの頃は逆走するバイクを見てはクレイジーで危険な奴らだと呆れていたけれど、カンボジアから離れる時には右手にアクセルを握り、左手にクラクションを持ち、クラクションを鳴らしながら、ためらいなく逆走していました。お互いに感じ合ってさえいれば、危ない場面などなかったし、無秩序でカオスな状況というのは何より自由で楽しい。

 

決められた秩序があってマニュアルに沿う、キチッとする、ちゃんと生きることばかりに縛られていくよりも、自分の感覚を信頼して、感じて動いていく。

 

これからの激動の時代、カンボジアの車線のように一瞬で状況が変わり、安全などなくなっていくかもしれません。一瞬、一瞬の流れを読み取って自分がどこに位置するかを決めていく。

 

そして、安全でいることを放棄したとき、そのカオスで無秩序な状況が何よりも自由で楽しいことだと知る機会になるのかもしれません。 

 

 


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