始めの一歩が一番難しい

修験道の根本道場

修験道の大峯奥駈道で行をすることはライフワークの一つです。あまり知られていない大峯奥駈道ですが、役行者の開山以来1300年の歴史を持つ修験道の根本道場です。

 

和歌山県の熊野から奈良県の吉野までに及ぶ40以上の峰々を1週間程で山上走破する奥駈行は修験道で最も重要視されてきた修行でもあります。吉野から天川を経て、釈迦ヶ岳を超えた深仙のあたりまでが北奥駈。深仙のあたりから玉置山を経て、熊野までが南奥駈と呼ばれています。

 

北と南の中間点である両部分けにも近い深仙は役行者が深い瞑想行をした神の庭とも呼ばれており、修験道本山派にとっての一大聖地です。深仙には仙人が住んでいる場所とされ、地中にはたくさんの経本が埋められているそうです。この深仙から目と鼻の距離にある行場が大日岳です。 

神の庭とも称される深仙の四天岩
神の庭とも称される深仙の四天岩

一歩目を踏み出す

大日岳は急峻な山肌に鉄の鎖がかけられおり、鎖を頼りに山頂までを登りきる行場です。少しでも手を滑らせれば、少しでも足を滑らせれば、急峻な山ですから命が助かるような場所ではありません。そして、この行場に鎖がかけられたのはなんと明治二十四年で、それから鎖は架け替えられていません。そんな行場を命がけで登っていくのです。

 

私が深仙に滞在していた時、たまたま居合わせた登山者の方から大日岳の行場の情報をいただきました。その方によると、大日岳の行場を通った時に修験装束に身を包んだ修験者が来られたそうですが、しばらく悩んだあげく修行をせずに修験者は立ち去っていったという話でした。恰好ばかりで情けない、といぶかっておられましたし、同感だなと思っていました。

 

 

翌日になり大日岳に足を運んで行場を見上げてみましたが、思った以上に巨大な岩盤で、修験者が逃げ出してしまったのは十分に納得できると思い直しました。

大日岳の行場
大日岳の行場
明治二十四年に架けられた鎖
明治二十四年に架けられた鎖

足をかける箇所もない大きな一枚岩があり、さらにこの日は霧が出ていて、岩盤が濡れているというコンディションです。登り始めてしまえば、途中で降りることも難しいだろうし、失敗したらリアルに死を迎える可能性のある行です。正直、かなり怖かったのです。どうしよう、行くか、やめるか。。。

 

しばらく悩んだ末に、よしやるか!と、意を決して行場へと進みました。その行場に自分を放り込んでしまえば、やるしかありませんでした。

 

鎖を信頼して目の前の一歩また一歩を慎重に登っていきます。もし、鎖が切れてしまったらどうしようとか、怖いからと途中で下を見てしまったりしたら、足がすくんでしまって登ることができなかったかもしれません。大丈夫、できる!と信じきってただひたすらに登っていきます。 

 

山頂では大日如来が修行者を見守っている
山頂では大日如来が修行者を見守っている

信じきること

そして、意外なことでしたが、信じきってしまえば命がけの行であっても怖いと思うことなく登りきることができました。結局のところ、スタートを切るまでが怖かったのです。

 

落ちたら命がないとか、足をかける箇所がない一枚岩があるとか、岩盤が濡れていて滑りやすいとか、スタートしない理由はたくさんありました。

 

当然、こういった行だけに限らず、何かを始めようとする時は、躊躇する気持ちが出てくるものです。けれど、その時に大丈夫、大丈夫とマントラのように唱えて、スタートをきってしまうことが大切なのだと身を持って実感しました。 

 

まだまだ経験が足りていないとか、もう少し資金があったらとか、もう少し若かったらなど、物事を躊躇する理由はたくさんありますが、大丈夫、大丈夫とマントラのように唱えてスタートしてしまう位がちょうどいい。思い切ってスタートしてしまえば、あとは目の前のことを一つ一つやるだけです。

 

修行の時代じゃないと聞くことも多いけれど、修験道の様々な行はこの身をもって学ぶことができます。そして、身体で得た体験は感覚として残り、生き方へとつなげていくことができます。山に入り、川に入り、洞窟に入るという自然の中へと入ることが、様々な気付きをもたらしてくれます。

 

やりたいことを始めることに躊躇したら、大丈夫!大丈夫!をマントラのように唱えて、一歩を踏み出してみる。一番難しいのはスタートをきることだから。

 


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