大峯奥駈道との出会い

大峯奥駈道との出会い

リンクナチュラルという名称で活動していますが、LINK=つながる + NATURAL=自然から名付けています。この自然とつながるという体験のきっかけとなったのが、大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)です。この大峯奥駈道との出会いはまったくの偶然によるものでした。

 

パートナーと高千穂への旅行を計画していたある夏のこと。天河弁財天大社(奈良県吉野郡天川村)での奉納舞を終えたばかりのパートナーが、どうしても私を天川村に連れて行きたい言い出したことがきっかけでした。行き先は高千穂に決まっていたのですが、半ば強引に旅先を変更させられたのがきっかけでした。

 

それでもせっかくの夏休みですから天川村を堪能していました。そして、夜の洞川温泉郷へと散歩に出かけて、ふらりと立ち寄ったお土産屋さん。偶然にもこのお土産屋さんに一人の修験者がいました。

 

夏休みの繁忙期に親戚のお店の手伝いとして、たまたま来られていたのだそうです。役行者の開山以来1300年の歴史がある大峰山寺にお勤めしている方で、この修験者から大峯奥駈道のことを教わり、初めてその存在を知りました。

 

大峯奥駈道は和歌山県の熊野から奈良県の吉野に至るまでの全長170kmと言われる山岳修行の道のことです。大峯奥駈道のことを教わったものの一週間の行程が必要と言われましたので、休みが取れそうにありませんとその修験者に告げてお土産屋さんを去りました。

 

そして、次の月である9月にはシルバーウィークがありました。この年のシルバーウィークは、プラチナウィークと呼ばれた超大型の連休でした。労せず9日間の休みを手にすることになりました。 ちなみに、次にプラチナウィークを迎えるのは11年後だそうです。

 

大型連休を迎えることがわかった時、行くか行かないかを考えることもなく、気が付けば奥駈への準備を始めている自分がいました。

登山の経験もなく、虫も動物も怖いにもかかわらず、無意識のうちに山岳修行への準備を始めてしまっていたのです。

 

なぜ唐突に準備をし始めたのか、自分でもわかりません。もし、当初の予定通りに高千穂へ旅行に行っていたならば、奥駈行に出ることはなかったでしょう。たまたま修験者がお土産屋にいなかったら、そしてプラチナウィークの連休がなかったら、奥駈行に出逢うことはありませんでした。大峯奥駈道との出会いは偶然そのものでした。  

大峯奥駈75靡(なびき)の始まりは熊野本宮大社。旧社殿のある大斎原の大鳥居。
大峯奥駈75靡(なびき)の始まりは熊野本宮大社。旧社殿のある大斎原の大鳥居。

いざ奥駈へ

2015年9月。気が付けば大峯奥駈道の起点となる和歌山県の熊野本宮大社を参拝をしていました。参拝を終えると熊野本宮大社のほとりにある熊野川に入水して、そのまま徒歩で横断して山へと入ります。入水して熊野川を横断することは、世俗の穢れを払う禊の意味があります。

 

全長170kmとも言われている大峯奥駈道を歩くには1週間分の食料や水、テントなどが必要でスタート時のザックの重量は約18Kgありました。

 

重量18kgのザックを担いで熊野川を横断しましたが、その日は水深が膝上15cmほどありました。川の勢いと荷物の重量のなかでバランスをとるのは大変でふらつきながらの横断することになりました。最後の一歩の水深が予想以上に深く、よろめきながら対岸の岩にしがみつき、なんとか横断することができました。

 

ホッとしたのもつかの間、見上げてみればどこをどう見てもそこには登山道などありませんでした。初めてということもあり、登山道からズレた場所から川を横断していた様です。

 

選択肢はただ一つ。登山道でもなんでもない山の中に身一つで分け入っていくこと。急斜面の山をかき分け、樹木につかまりながらよじ登り、15分かけてようやく登山道に合流できました。

 

登山道に合流したものの、人の乏しい大峯奥駈道。初日は熊野本宮大社を出てから先は誰一人として、人と出会うことはありませんでした。出会ったのは、マムシと思われる蛇と野生動物だけでした。

 

二日目は熊野三山の奥の院として有名な玉置神社(十津川村)に滞在した際に数人の参拝客と出会うことができました。しかし、玉置神社から先は山岳道へと戻りますので、人に会うことはありません。

 

玉置神社を出て数時間が経った頃、一本道が続く山中にてようやく人と出会うことができました。そして、この方からいただいた情報に驚きました。

 

「この先に熊がおるでな。気をつけてな。さっき熊と目が合っちゃったよ。」と、すぐ近くで熊と遭遇したという情報でした。この先と言われても一本道ですから、引き返すこともできません。それなのに先に進めば確実に熊がいます。

 

熊除けの鈴の音が途切れることがないよう、しっかり音が届くよう叩いて鳴らして、鳴らしまくるという最大限の警戒心をもって歩みを進めました。

 

「ガサガサッ」と野生動物の足音が聞こえるたびに緊張がはしります。熊ではなく、鈴の音に反応した鹿が走り去っていくのを目撃してひと安心。その後も動物の気配を感じることはありましたが、幸いにも熊と遭遇することはありませんでした。

 

三日目には近畿最高峰である釈迦ヶ岳の手前で、香川県から来ていた三人組のグループと出会いました。

 

「なになに?山に登ったことないの!?ここは上級者向けのコースなのに。最初からこんなとこに来るなんて面白い人だね。」と、笑われながらも山で一番の貴重品である水を1Lも分けてくれました。

 

分けていただいた水は、釈迦ヶ岳の巨大な岩の割れ目から湧出している香精水と呼ばれる聖水でした。万病が治癒するとの伝承があり、奥駈道中で唯一里に持ち帰ることが許されていた伝説の湧水です。

 

もしかしたら、死ぬんじゃないかと怖れる気持ちばかりで入った大峯奥駈道。途中で出会った方のなかには火を起こしてくれ、コーヒーを淹れてくれた人もいました。

  

不思議なことに道に迷えばルートを外れていることを直観が教えてくれました。足を滑らせて滑落した時も不思議なことに怪我一つ負いませんでした。目に見えない何かに守られているという安心感がありました。

 

守られている感覚があったので、街灯などあるはずもない真っ暗闇の山中をヘッドライトを照らしながら歩いても怖いとも思わず、麻から晩まで、ただひたすらに歩き続けることができました。

 

トータルで6日間をかけて無事に奈良県吉野にある金峯山寺へと辿り着くことができ、修験道で最も重要視されていた奥駈行を終えることができました。   

大峯奥駈75靡(なびき)の73番靡である金峯山寺の蔵王堂
大峯奥駈75靡(なびき)の73番靡である金峯山寺の蔵王堂

超自然的な力を知る

行を終えて東京に戻ると、いつもの出勤風景が違った風景に見えました。すれ違うたくさんのサラリーマン達が、生気のない目が死んだ人々の行列に見えました。

 

畑で栽培されている野菜は元気がなく、道端に生えている雑草が生き生きとしている様に見えました。自然との距離が近くなっていたのか、雑草や街路樹が笑っているように見えます。

 

超自然的な力を感じることができ、自分の身体に気が溢れていることを感じるだけでなく、人の身体に触れたときに身体の中を観ることができ、実際に作用していくことができました。(昔の修験者は治療者でもありました。)

 

このような現象は一ヶ月も経った頃には元に戻っていましたが、自然の中には超自然的な力があること、普段の生活は自然との距離が離れすぎていることを知りました。

 

リンクナチュラルの名称は、LINK=つながる、NATURAL=自然を組み合わせた造語です。リンクナチュラルの原点は自然とつながるという体験をした大峯奥駈道にあります。