2016年はリンクナチュラルの活動をスタートさせた年となりました。正直なところ、なぜ自分がキャンドルを作っているのか、なぜ自分が瞑想会を開催しているのか、自分でもよくわからないのですが、不思議なご縁の積み重ねと運命の偶然で活動を始めることになりました。
リンクナチュラルとしての活動は2016年1月23日のキャンドル瞑想会から始まりました。以前からハワイ在住の舞踏家那須シズノさんのダンスリトリートのお手伝いをしていましたので、会場の装飾についてのイメージだけはありました。
しかし、どうやって告知したらいいのか?どうやって瞑想をガイドしたらいいのか?自分が参加したことはあっても、瞑想会を誰かに提供したことはなく、すべてが手さぐりの状態から瞑想会は始まりました。
最初のうちはいくつかの失敗もありました。告知がうまくできずに参加者がおひとりで二人だけで瞑想したこともあります。しかし、後から振り返れば参加者がおひとりだった瞑想会がターニングポイントにもなったのだから面白いものです。
その瞑想会の日は朝から力が抜けていたことを覚えています。瞑想会が始まっても力が抜けたままで、結局はくつろいだままの瞑想の状態のままで瞑想会が終わっていました。
話す言葉が勝手に出てきました。ただくつろいでお任せしておけば良いんだなぁと思いました。話すのではなくて、話している。”自分が伝える”という思考によって、こんな当たり前のことを見過ごしていたことに気付くことができました。
失敗を重ねながらも、自分だったら参加したいなぁと思える瞑想会になっていることがなにより嬉しい。今日の瞑想会も良かったなぁ、次もやってくれないかなと、まるで参加者になったかのように瞑想会のファンになっている自分がいます。
たくさんのキャンドルを惜しみなく使って、人と坐れる瞑想会はこの機会しかありません。だから、たった一人でも参加してくれればまた瞑想会を開ける。そんな気持ちがあります。
けれども、瞑想会も会を重ねるごとに参加してくださる方が増えてくださり、最近では告知をすれば満席になるようにもなってきました。有り難いことです。
また、キャンドル作りもまだまだ改良を重ねていますが、徐々に良い物が生み出されるようになりました。自然のままのキャンドルは、コントロールしやすい添加物を使いませんので、作りづらいのですが、それでも理解できることは日々増えています。
このキャンドルのことを理解できた分だけ、また良い物が生み出されていることを感じます。キャンドルの販売も徐々に注文が増えるようになり、最近は作るペースを超えて注文が入るようになってきました。品切れの状態になることも珍しくありません。
開設したホームページを通じて、面識もない方々がキャンドルの世界観に興味を持ってくれて、注文をくださるようになったことも嬉しいことでした。
そして、”このキャンドルには力があります”と言ってくださり、いつもリトリートやワークショップでキャンドルを使ってくださる那須シズノさん。
ダンス公演でもキャンドルを使ってくださいました。ダンスというジャンルを超えた祈りの要素も含む公演で感じた踊り手の方々の圧倒的な熱量。公演の一瞬一瞬にすべてを賭けている神々しいまでの踊り手の方々の手にはキャンドルが持たれていました。
踊り手の方々の圧倒的な存在とキャンドルの織り成す光景には思わず涙が溢れ出てきました。キャンドルを作ってきて良かった、そのように思わせてくれました。
立ち上げたばかりにもかかわらず、たくさん方に想いを寄せていただき、良い経験を積ませていただいた一年となりました。
リンクナチュラルの活動は新しく始めたことばかりで、今年はゼロからイチを作る一年になりました。少しずつではありますが、基礎が出来上がりつつあるリンクナチュラルの活動。
たくさんの方と共に坐ることができ、キャンドルを灯していただくことができました。来年もひとつ、ひとつのことを丁寧にとり行いながら活動を続けてまいります。来年もどうぞリンクナチュラルをよろしくお願いいたします。
12月23日(祝)にキャンドル瞑想会~音と灯りのなかで~を開催しました。今年から始めた瞑想会も今回で6度目の開催。満員御礼となる参加者13名とスタッフ2名でしたハミングを用いたナーダブラーマ瞑想が強烈で、共鳴しあったハミングが会場をこだまして、ハミングの巨大な波が押し寄せてくるような、とてつもないエネルギーの場と化していました。
そして、ハミングの余韻も冷めやらぬ中で加藤あいさんのクリスタルボウル演奏が始まる。細胞一つ一つにまで倍音が響き渡るような感覚で、身体に力を入れることもできない脱力したままで、クリスタルボウルの倍音に包まれていく心地の良さ。
二日ほど経っても、身体に、細胞に音の振動がこだましている感覚。オーガズム、ノーマインド、、、どうやって言葉にしていいのかわからない。あの会場では何かが起こっていた。そして、自分自身にも何かが起こり始めていることを感じています。
今回の瞑想会も参加者のみなさんとクリスタルボウル奏者の加藤あいさんだから作れた場。主催でありながら、素晴らしい瞑想会だったなと参加できたことを嬉しく思いました。
そして、いつも時間がとれないでいた参加者とのコミュニケーションの時間も持つことができたことも大きかったです。
幾人かの参加者とお話しして、どういう想いで来てくれているのか知ることもできたし、この瞑想会を必要としてくれている人たちがいるということも理解することができました。
たまたまの流れで瞑想会という場を持つことになっただけで、先生とか先達を務めているつもりはありません。自分自身が参加者の一人として、キャンドル瞑想会が好きでいる。そんなスタンスでこれからも瞑想会を続けていきたいと思います。
”自然とつながる"きっかけを与えてくれた奥駈(おくがけ)。奥駈との出会いはまったくの偶然でした。
パートナーと高千穂への旅行を計画していたある夏のこと。天河弁財天大社(奈良県吉野郡天川村)への奉納舞を終えたばかりのパートナーが、どうしても私を天川村に連れて行きたいと言い張り、半ば強引に旅先を変更させられたのがきっかけでした。
しぶしぶ高千穂から旅先を変更し、夏休みに訪れた天川村。夜の洞川温泉郷を散歩に出かけて、ふらりと立ち寄ったお土産屋さん。偶然にもこのお土産屋さんに一人の修験者がいました。
女人禁制をかたくなに守る大峰山寺にお勤めする方で、この修験者から大峯奥駈道の存在を教わりました。大峯奥駈道は吉野から熊野までのおよそ一週間を要す山岳修行の道。一週間もの休みは取れないので、修行などできませんと修験者に告げて、その時はお土産屋さんを去ったのです。
そして、次の月に迎えたシルバーウィーク。この年のシルバーウィークは偶然にもプラチナウィークとも呼ばれた超大型連休になっていました。労せず一週間の休みを手にすることになります。ちなみに、次にプラチナウィークを迎えるのは11年後だそうです。
そうして、行くか、行かないかを考えることもなく、気が付けば奥駈への準備を始めている自分がいました。山岳修行といっても登山の経験もない、虫も動物も怖いもかかわらず、、、です。なぜ準備をし始めたのか、自分でもわかりません。
もし、高千穂へ旅行に行っていたならば、リンクナチュラルはなかったかもしれません。修験者が偶然にお土産屋にいなかったならば、プラチナウィークの大型連休がなかったならば、奥駈に行くことはなかったでしょう。大峯奥駈道との出会いは偶然そのものでした。
和歌山県田辺市の熊野本宮大社ほとりにある熊野川。禊の意味を込めて熊野川を徒歩で横断して始まった奥駈。
スタート時のリュックの重量は約18Kgあります。その日の熊野川は水深が膝上15cmほどあり、重量のあるリュックを背負ってバランスをとるのは大変でふらつきながらの横断。最後の一歩の水深が深く、よろめきながらも、なんとか横断。ホッとしたのもつかの間、見上げてみればどこをどう見てもそこから先に進めそうな登山道などありませんでした。登山道からはズレた場所から川を横断していた様です。
選択肢はただ一つ。登山道でもなんでもない山の中に身一つで分け入っていくこと。道のない急斜面の山をかき分け、樹木につかまりよじ登り、およそ15分でようやく登山道に合流できました。
登山道に合流したものの、人の乏しい大峯奥駈道。思い返してみれば、初日は熊野本宮大社を出てから先は誰一人として出会うことはありませんでした。初日に出会ったのはマムシらしき蛇だけでした。
二日目は玉置神社(十津川村)には数人の参拝客がいましたが、そこから先は、ほとんど人に会うことはありません。僅かに出会った方からは「この先に熊がおるでな。熊と目が合っちゃったんだよ。」と、驚きの情報をもらいました。
この先は一本道。この一本道の先には熊がいるという事実。かといって引き返すわけにもいかず、音が途切れることがないよう、必要以上に熊除けの鈴を鳴らしまくって歩きました。
「ガサガサッ」と動物の足音が聞こえるたびに緊張がはしります。鈴の音に反応した鹿が走り去っていくのは目撃しましたが、幸いにも熊に遭遇することはありませんでした。
釈迦ヶ岳の手前では香川県から来ていた三人組のグループと出会いました。「山に登ったことないの!?ここは上級者向けのコースなのに面白い人だね。」と、笑われながらも山で一番の貴重品である水を1Lも分けてくれました。分けていただいた水は、釈迦ヶ岳の岩の割れ目から湧出している香精水。万病が治癒するとの伝承がある湧水です。
もしかしたら、死ぬんじゃないかと怖れる気持ちばかりで入った山岳道。山に入れば火を起こしてくれ、コーヒーを作ってくれた人。貴重な水を分けてくれる温かい人たちがいました。
そして、道に迷えばルートを外れていることを直観が教えてくれました。足を滑らせ滑落しても不思議なことに怪我一つ負いませんでした。不思議な何かに守られているという安心感がありました。街灯などあるはずもない真っ暗闇の山の中をヘッドライトを照らして歩いても、怖さはなどなく、ただひたすらに歩き続けていました。
トータルで6日間かかりましたが、無事に奈良県吉野にある金峯山寺に辿り着き、修験道で最も重要視されていた奥駈の行を終えました。
東京に戻るといつもの出勤風景がいつもと違って見えました。すれ違う出勤中のサラリーマンたちは、生気のない目が死んだ人々の行列に見えました。畑で栽培されている野菜に元気がないように見えました。一方、道端に生えている雑草が生き生きとしているように見えました。
自然との距離が近くなっていたのか、雑草たちや街路樹は笑っているように見えます。超自然的な力を感じることができ、自分の身体に気が溢れているだけでなく、実際に人の身体に作用していくこともできました。
このような現象は一ヶ月も経った頃には元に戻っていましたが、自然の中には超自然的な力があること、普段の生活は自然との距離が離れすぎていることを知りました。リンクナチュラル(="自然とつながる")の原点は大峯奥駈道にあります。
2016年6月11日(土)にキャンドル瞑想会を開催しました。
今回の瞑想会は告知が数日前ということもあり、いつもよりも少ない人数での開催となりました。今回参加してくださったのは長年瞑想を続けてきた方々で、初めて瞑想される参加者が多かった前回の瞑想会とは異なる雰囲気となりました。
イントロの部分では共催のスペースMaDevi相山千賀子さんが観音舞の呼吸を使ったセッションから瞑想会が始まりました。ゆったりとした観音舞の動きを伴いながら、言葉でもわかりやすく説明してくれていました。観音舞の呼吸法に続いてナーダブラーマ瞑想、トラタック瞑想、第三の眼を開く瞑想法と続けて瞑想技法を紹介。
始めたばかりの瞑想会ですが、素晴らしい瞑想会になっているなと感じています。私の世界観の体現となる無添加の瞑想用キャンドルが、相山さんの世界観を通して美しい空間を生み出している。
この美しい空間の中で、自分が気持ち良さをよく知っている瞑想技法ばかりを並べて、皆さんと瞑想することができる。こんな瞑想会があったら是非参加したい!と自分が思える瞑想会にもなってました。
キャンドル瞑想会はこれといって高尚な瞑想会ではないかもしれません。結果としてそうなれば良いけれど、かといって瞑想会に来てくれる誰かに満足してもらうことを目的にやっているのかと言われれば、そういうわけでもなかったりします。
それでも、瞑想の大先輩が来てくれているので喜んでもらえるような会にしたいとか、逆に失望されたくないとかそういった声が頭によぎることもあります。
しかし、それと同時に大先輩から認めてもらいたい、愛されたいと願っているエゴイスティックな自分に気付いていればそれで十分。実際に外側の誰かに評価してもらう必要がなくなっていくことを感じています。
誰かの為に何かを為す。これが"愛"と呼ばれたりしますが、実際は為す側と為される側(尽くす側と尽くされる側)に分離してしまいます。これはパートナーとのセクシャリティから体感して学んできたことです。
よくパートナーを満たす為にセクシャリティの技術などを学ぶ人がいますが、実際はパートナーを満たそうとすればするほど、気持ちよくする側と気持ちよくされる側に分離して一体感とはかけ離れていきます。
相手を満たす為でもなく、自分を満たす為のどちらでもなく、どちらでもある。為す自分が消え行く時に、自然が事を為してくれている。
私の場合、理由はよくわからないけれど、気が付けばキャンドルを作っていました。これまた理由はよくわからないけど、気が付けば瞑想会を開くことになっていました。
誰かに喜んでもらいたくて始めた訳でもなく、自分がやってみようと思っていた訳でもなく、よくわからないうちに始まっていました。
目指して辿り着いたわけでもなく、理由はよくわからないけど、キャンドルと瞑想会が運ばれてきた感じ。結果として、来てくれた人が喜んでくれたりする。
瞑想会を開く度に充足している自分がいて、また開きたいなと思う。そして、いい瞑想会だなと感じている自分がいて、自分がこの瞑想会の一番のファンだったり、次も開催して欲しいと希望する参加者だったりもします。
主催者がこんなスタンスでもいいのかなと思いつつも、まぁいいんじゃない!とか思いながら、次回も瞑想会をやる予定を組んでいます。
MeditationCandle~奥駈~はティーライトタイプのキャンドル5個で5,000円というけっして安くはない値段を設定しています。ずいぶんとお高いんですねと言われることもしばしばあります。
それでも、利益はあまりありません。原価もまたお高いからです。キャンドルに使う素材がパラフィン(石油由来の蝋)であれば一般的に1,000円あれば1Kg程度手に入ります。これを日本ミツバチの蜜蝋にすると、一般的に1,000円で手に入るのは30g-90g程度になります。ヒノキの精油もおおよそ精油の瓶一本(4ml-5ml)程度使っています。そもそもの原価がお高いのです。
それでも、工場の中でオートメーションに大量生産して拡販できれば利益を出すこともできるかもしれません。けれど、精麻(乾燥させたヘンプの茎)を紡いで糸にするところから手作業でキャンドルを作っているので、そんなにたくさん作ることもまた難しいキャンドルです。
仮に割に合うのか、合わないのかと問われることがあれば、割に合わないと即答する自信はあります。それでもキャンドルを製作しているということは自分の中にある何かが動かされているからなのだと思います。
自然崇拝の世界に身を置き、セクシャリティの世界に身を置き、瞑想の世界に身を置き、キャンドルの世界に身を置く自分を通してしか出てこなかったであろうオリジナルな世界観が自分の中にあります。この世界観の一つの表現としてMeditation Candle~奥駈~が生まれてきてくれました。
私が感じていた悩ましい思いは、キャンドルの燃焼の仕方を均一にコントロールできないことです。そして、今回のリトリートにてキャンドルを眺めていた時に気付くことがありました。
それは、手作りしたキャンドル一つ一つには魂があり、それぞれのキャンドルに個性があるということ。そもそも均一化するものではなかったということに気が付きました。キャンドルもまた物ではなくて、一つの個性を持った生命なのかもしれません。
風が吹いてもいないのに激しく揺らめくキャンドルもあれば、揺らぎなく一直線に直立した炎のキャンドル、控えめな炎のキャンドルもあったりとそれぞれに個性があります。
私は不思議に思っていたのです。
同じ素材を同じ条件で、同じ工程で、同じ芯の長さで、同じ灯し方をしているのになぜ炎が均一化しないのだろうと。もともと加工がしやすくて、安定して燃焼するパラフィンなどの石油系のキャンドルであればこのような問題を感じることがなかったかもしれません。たとえ蜜蝋を素材にしたキャンドルであっても、添加物を用いて均一化を図る考え方も理解できます。
添加物を用いれば均一化が図りやすくなるのは確かですが、リンクナチュラルのキャンドルは、一つ一つのキャンドルに個性があってもいいのかもしれません。そう思えたら、沸き立つ炎がいい、揺らめかない炎、炎が大きくないものがよくないのではなく、それぞれのキャンドルが個性的で美しいものとして捉えることができる発見がありました。