大峯奥駈道はあまり知られてはいませんが、役行者の開山以来1300年の歴史を持つ修験道の根本道場です。全長170kmあるともいわれ、和歌山県の熊野から奈良県の吉野に至るまで40以上の峰々が連なる修行の道です。
吉野から天川村の大峰山を経て、釈迦ヶ岳を超えた深仙のあたりまでが北奥駈で、深仙から玉置山を経て、熊野までが南奥駈となります。この北奥駈と南奥駈のほぼ中間点にある深仙は、役行者が深い瞑想行をしたと伝えられており、神の庭とも呼ばれています。
仙人が住んでいる場所とされ、地中にはたくさんの経本が埋められているそうです。そして、 深仙は修験道本山派の一大聖地でもあります。
この深仙から目と鼻の距離に大日岳の行場があります。大日岳の急峻な山肌に鉄の鎖がかけられており、山頂まで登りきる行です。
少しでも手足を滑らせれば、急峻な岩場ですから命が助かるような場所ではありません。そして、大日岳の行場にかけられている鉄の鎖は、明治二十四年に作られたものです。
大日岳の行場は終盤に差し掛かると、足を置ける箇所がまったくない大きな一枚岩があります。この一枚岩には足を置く箇所がありませんから、130年以上使われ続けている鎖を信頼して身体を預けなければ、登ることができません。
修験装束に身を包んだ修験者でもいざ大日岳の行場を前にすると恐怖に駆られて立ち去ることもあります。 大日岳の行場を初めて見た時は、「これは無理だな。終わったな。」とつぶやいた記憶があります。
大日岳の行場に初めて挑んだ日は、霧が出ていて岩盤が濡れているというコンディションでした。一度登り始めてしまえば、途中で降りることすら難しい。行に失敗すれば、リアルに死を迎える可能性があります。
正直、かなり怖かったです。
どうしよう行くべきか、やめるか。。。
しばらく悩んだ末に、よしやるか!と、意を決して行場へと進みました。その行場に自分を放り込んでしまえば、後はやるしかありません。鎖を信頼して目の前の一歩、また一歩を慎重に登っていきます。
もし、途中で下を見てしまったり、鎖が切れてしまったらと考えていれば、恐怖で登れなかったかもしれません。大丈夫、できる!と信じきって、ひたすらに登ります。
そして、信じきって目の前の一歩一歩を歩み続けていくことで、命がけの行でも恐怖を感じることなく無事に登ることができました。結局のところ、スタートを切るまでが怖かったのです。
落ちたら命がないとか、足の置き場のない一枚岩があるとか、岩盤が濡れていて滑りやすいとか、スタートしない理由はたくさんありました。当然、こういった行だけに限らず、何か物事を始めようとする時も、躊躇する気持ちが出ることがあります。
けれど、その時に大丈夫、大丈夫とつぶやいて、とりあえずスタートをきってしまうことが大切なのだと身を持って実感しました。
まだまだ経験が足りていないとか、もう少し資金があったらとか、もう少し若かったらなどと物事を躊躇する理由はたくさんあります。しかし、思い切ってスタートさえしてしまえば、あとは目の前のことを一つ一つやるだけです。
修行の時代じゃないと聞くようになりましたが、この身をもって学べることはあります。身体を通じて得た体験は感覚として残り、在り方へとつながっていきます。
大日岳の行場で学んだことは、始めの一歩が一番難しいということ。やりたいことを始めるのに躊躇したら、大丈夫!大丈夫!とつぶやいて、一歩を踏み出してみる。一番難しいのはスタートをきることだからです。