感じて動くこと

2018年3月中旬にカンボジアを訪れていました。他の記事にも書きましたが、アンコールワットのあるシェムリアップで125ccのバイクをレンタルして、郊外の村々へと日々出かけていました。

 

シェムリアップという街は、中心街を少し外れただけで舗装されていない土のままの道路が普通にあります。日本にいると想像することが難しいのですが、舗装された道路ですら穴ぼこになっているのが普通なのです。

 

そんなシェムリアップにも、首都プノンペンに向かう6号線という幹線道路があります。例外的に穴ぼこ一つない、アスファルトで綺麗に舗装された4車線ある幹線道路です。舗装は綺麗にされているのですが、日本の幹線道路とは大きな違いがあります。

 

" それは車線がないこと "

 

日本の道路は片道2車線とか、きちんと区分けされています。ですから車線が無いという状況が想像できないかもしれません。簡単に言えば、4台分の車が通れる横幅があるだけ、ということです。  

 

瞬間に存在する流れを感じる

どうやら車線は、その瞬間の " 流れ " によって、なんとなく決まっているようです。ある瞬間は片側2車線ずつだったり、次の瞬間に片側1車線と片側3車線になっていたり。

 

片側4車線になっていた瞬間もありました。バイクで走っていると、正面の4車線から車やバイクが突っ込んでくる。でも、次の瞬間にはこちらの存在を感じて、1車線がちゃんと開いている。一応は右側通行となっているので、一番右の車線だけは安全かと思いきや突然バイクが逆走してくることもあります。

 

いずれにしても、ここを走っていれば安全だと思える車線が存在しませんでした。交通ルールがしっかりした日本では考えられない無秩序でカオスな状況がありました。 自分がどこに位置するかをその瞬間、瞬間に判断し続けなければなりません。

シェムリアップ郊外の道路
シェムリアップ郊外の舗装されていない道路

自由であること

しかし、考えようによっては何にも縛られずに4車線をフルに活用できるということです。この無秩序さは圧倒的に自由度が高くて、日本で運転するよりもはるかに楽しいのです。カンボジアに着いたばかりの頃は、逆走するバイクを見ては、なんてクレイジーで危険な奴らだと呆れていました。

 

けれど、カンボジアを離れる頃には右手にアクセル、左手にクラクション、というスタイルがすっかり馴染んでいました。クラクションを鳴らしながら、その瞬間を感じて、なんのためらいもなく逆走する。

 

お互いに感じ合ってさえいれば、危ない場面などなかったし、無秩序でカオスな状況というのは、実は何より自由で楽しいのだと知りました。決められた秩序があって、マニュアルに沿う、キチッとする、ちゃんと生きる。それを当たり前のこととして私たちは過ごしています。

 

こうして何らかのルールや価値観に縛られているよりも、自分の感覚を信頼して、感じて動いていく。これからの激動の時代、カンボジアの車線のように一瞬で状況が変わるかもしれません。安全なポジションなど無くなるかもしれません。

 

一瞬、一瞬の流れを読み取って自分がどこに位置するかを決めていく。そして、安全でいることを放棄したとき、カオスで無秩序な状況が何よりも自由で楽しいことだと知る機会になるのかもしれません。